看板の歴史 ネオンサイン

”/

大阪の看板屋 あいらんど工房ブログ担当の松本です。

大阪の街を彩るネオンサイン。
道頓堀や北新地、梅田…
北摂からみる市内の夜景はまさに圧巻!
輝くネオンサインは大阪の顔とも言えるのです!
ネオンサインの歴史は意外に古く100年ほど前からあるそうです。

今回は「看板の歴史 ネオンサイン」というテーマでご紹介します。

ネオンの発見からネオン管の発明

ネオン管はガス放電管の一種。
細長いガラス管に不活性のネオンガスもしくはアルゴンを封入し、電流を流して放電させることで発光させています。

ネオンガスそのものはイギリスの科学者ウイリアム・ラムゼイが発見、ギリシャ語のNeos(=新しい何か)に由来し命名しました。

その後、1910年、フランスのジョルジュ・クロードがネオン管の基本原理を公開。
ネオンガスをはじめ、アルゴンなどのガスをガラス管に充填し、電気衝撃を与え光らせる基本的な技術を発明しました。
さらにガラス管の内側に色を塗ることで多彩な色彩を表現しました。
この段階で現在のネオン管の形がほぼできあがったと言えるでしょう。

ネオン管の運用と発展

ジョルジュ=クロードのネオン管の発明から2年後の1912年。
フランスのパリで、世界初のネオン管の広告サインが登場しました。
モンマルトル通りの小さな理髪店だったそうです。

その後、ネオン管はアメリカのラスベガスを中心に全世界で歓楽街や店舗の照明広告として発展しました。

日本のネオン管普及

日本でネオン管が普及し始めたのはいつでしょうか?
実は意外に古く、大正から昭和初期にかけて普及したそうです。
まずは、モダンなバーやカフェなどの飲食店に広まりました。
一般企業の広告媒体にも使われるようになり、戦前の世界恐慌前までは世界1、2を誇るネオン大国にまで成長したそうです。
先の大戦により大都市は空襲により焦土となりました。
残念ながら、ネオン管は一時消えてしまいましたが、朝鮮特需や高度経済成長期のおかげでネオン管が復旧。
戦後の平和と経済発展のシンボルとなったのです。

ネオン管からLEDネオンへ

ネオン管は、光らせるにあたり高電圧が必要となります。
漏電やショートをした際、火災を引き起こす可能性が高いため火災予防条例の対象となりいました。
ネオンガスやアルゴンガスの取り扱いも含め、環境面でも問題が取りざたされるようになりました。
しかし、ネオン管の華やかさはお店だけでなく街の発展に必要不可欠なものです。
ニーズにこたえるべく、LEDに白羽の矢があたったのです。
従来のネオン管の代わりに、LEDを使用した『LEDネオン』が普及。
技術の進歩により、ネオン管のような柔らかな光も演出できるようになりました。
そのうえ、低電力で光らせることが可能。
瞬く間に全世界へ広まっていったのです。

まとめ

今回は、『看板の歴史 ネオンサイン』のご紹介でした。
ネオン管の雰囲気も引継ぎつつ、細い光なども演出できるLEDネオン。
汎用性やデザイン性の高さから増々需要が高まることは間違いないでしょう。

看板のご相談はあいらんど工房に

あいらんど工房では様々な看板を取り扱っております。
看板設置を検討中、お悩み中の方は是非一度お問い合わせください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 東大阪市の看板屋 株式会社あいらんど工房
〒577-0035 大阪府東大阪市御厨中1-16-5
TEL 06-6720-8239 FAX 06-6720-8240
——————————————————
HP: https://www.islandkoubou.com/
——————————————————
各種看板の企画・デザイン・製作・施工
屋外広告物のメンテナンス管理及び屋外広告物許可申請代行
各種販促(印刷物)の企画・デザイン・制作・印刷業務
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━